文章執筆
雑誌・パンフレット等の記事を執筆いたします。ゼロからの取材にも、柔軟に対応させていただきます。
料金:\10,000〜(1000字以下の文章の場合)
執筆業務では、文字数のほかにも、基本資料の有無、クライアント様からの内容面でのリクエストなど、さまざまな条件が関係します。したがって上記の数字は一応の目安です。また、第三者への取材が必要になる場合は、取材対象への謝礼も含めて取材経費が発生するケースもありますので、詳細は個別にお問い合わせ下さい。
挨拶文
祝辞やスピーチには、便利なひな型というものがあります。しかし、定型的な文言を個別情報に置き換えただけでは魅力的な挨拶文にはなりません。ひな型を効果的に利用しつつ、オリジナルのアクセントを加味して、心に残る挨拶を作成いたします。
料金:5,000円〜(1000文字程度のスピーチ原稿の場合)
その他の業務
単行本の編集、補助取材、代理執筆などもお引き受けします。個別にお問い合せください。
執筆請負について
執筆請負とはどのような仕事なのでしょうか。日本語の文章を英語や中国語などの外国語に直す、いわゆる翻訳であれば、その必要性には何の議論も起こりません。そうした言語を自由が操れないのに、その言語での書類が必要になることは珍しくないからです。
ところが日本語の文章を、日本人である本人(クライアント様)に代わって執筆するとなると、少し事情は変わってきます。その方の日本語能力が問われるわけではないからです。事実、文章なんて日本語のイロハを知っていれば誰でも作れるんじゃないの?、という意見があります。WEBに乱立するブログの多くが日記として書かれ、読まれていることに照らすと、文章を書くのに特別な技能はいらないとの主張にも説得力はありそうです。
しかし、その一方で、「筆が立たない」とか「口べたなので」とか言って、書くことを躊躇する人もいます。文章を書くことに壁を感じる方々は、もちろんのことながら、いわゆるイロハがわかっていないわけではありません。では何かそんな壁を作っているのでしょうか。それは文章に対する考え方ではないでしょうか。
「文章に対する考え方」というだけでは抽象的なので、論点が錯綜する恐れがあります。そこで二つほどの方向性を出してみましょう。その一つが、文章に関する定義であり、もう一つが文章に対する評価です。
まず定義について。意味や内容を伴う文が集まったもの、これが文章についてのとりあえずの定義です。形式的なところをいっているに過ぎませんが、けっして誤りではありません。しかし、人間の定義を求められて染色体の本数だけで答えるのに似た、間違いではないけど伝えるところが少ない説明になっているのも事実です。そして、文章は誰にでも書けると言って、子供の絵日記や書き捨てタイプのブログ記事を引きあいに出す向きであれば、おそらくこうした定義で事足りるでしょう。